沖縄の伝統工芸「琉球ガラス」を手がける職人。1962年、沖縄県恩納村前兼久出身。1981年に琉球共栄ガラス工房に入社し、2000年に独立して匠工房を開業。2024年には株式会社匠を設立し、若手育成や商品開発にも力を注ぐ。「日常の生活に彩りと温もりを届ける」をテーマに活動。伝統を守りながら、現代の暮らしに寄り添う価値を創出している。

もともと「他にはない、自分だけの作品を作りたい」という気持ちは、ずっと胸の中にありました。琉球ガラスっていうものは、そもそも“同じものがひとつとしてない”世界なので、私にはよく合ってますね。だからこそ、自分なりのテーマを持って、ひとつひとつに向き合ってきました。 琉球ガラスの世界に飛び込んで、作品作りを続けるうちに、より一層その気持ちは強くなりましたし、「これを手にする人に、小さな“至福”を感じてもらえたらな」とも思うようになりました。日々の暮らしの中に、ちょっとした輝きや楽しみを届けられるガラスをつくりたい。そんな気持ちで、今日も炉の前に立っています。

ものづくりにおいては、ひとつひとつに心を込めて「一点集中で作り上げる」ことを大事にしています。機械でたくさんつくるのとは違って、手でつくるガラスには、なんとも言えない温かみがあるんですよ。長年やってきて、自分なりのやり方も編み出してきました。グラスひとつにしても、手に取ったときの重さやバランスがしっくりくるように、細かいところまで気を配ります。海外の技法にも目を向けて、これはと思ったら試してみる。そうやって日々試行錯誤しながら、自分にしかできない表現を探し続けています。情熱を込めて生まれたガラスは、やっぱりどこか違う。そう信じて、これからも特別なひとつを、たくさんの人たちに届けていきたいですね。








泡カレットの泡が立ちすぎるとガラスの強度が落ち、泡が小さすぎると作品の表現に影響が出るため、試行錯誤した中で独自のきめ細かい泡を表現できる発泡剤の開発に成功しました。


沖縄市議会議長賞受賞
第7回 沖縄市工芸コンテスト クラフトマンシップ賞
最優秀賞(県知事賞)
私は、恩納村の前兼久というところで生まれ育ちました。子どもの頃から見てきた、この青くて静かな海。その海の色を、どうにかガラスに映せないかと思って「おんなブルー」という作品をつくるようになったんです。この作品は、ひとつご購入いただくたびに100円を恩納村のサンゴ保護基金に寄付する仕組みです。 少しずつではありますが、この美しい海を次の世代にも残していきたい、という想いで続けています。“恩納村をもっと元気にしたい”という想いは、駅の代表の方とも一致して「おんなの駅 なかゆくい市場」での展示も実現できました。これからも、この土地に根を張って、ガラスと向き合っていきたいと思っています。作品を通して、恩納村の海や自然の美しさ、そこに流れるやさしい時間を、ひとりでも多くの方に届けられたらうれしいですね。

若い職人を育てていくことが、これからの工房には何より大事なんです。 私の夢は、まず職人たちが安心して仕事に打ち込める場所をつくることが出発点。ちゃんと暮らしていける・余裕を持てる収入をこちらで保障して、職人がじっくりと各自の技を磨ける環境を整える。そこから、しっかり職人を育てていきたい。そして、いつか全国のあちこちに「匠工房で学んだ弟子たち」がそれぞれの場所で腕をふるっている…そんな姿を想像すると、本当に、胸が熱くなるんです。それから、もっとこの輪が広がって、ベネチアンガラスのように琉球ガラスが世界で知られる存在になるといいな、なんてことも思いますね。常に挑戦をやめず、技も設備も磨き続けていく。「琉球ガラスといえば匠工房」――そう言ってもらえるように、これからも歩みを止めずに進んでいきたいと思っていますよ。
